海に面した品川宿の記憶

品川駅の東側を歩くと、なぜこれほど広大な平坦地が広がっているのか不思議に思うことがあります。高層ビルが立ち並ぶ港南地区、倉庫群が続く東品川、そして羽田空港へと続く海岸線。この一帯はかつて、江戸湾の波が直接打ち寄せる海辺でした。品川の地名由来には諸説ありますが、海へ開いた地形と結びつけて理解されることがあります。

江戸時代の品川宿は、東海道五十三次の最初の宿場町として栄えましたが、その立地の特徴は海との近さにありました。現在の旧東海道品川宿周辺を歩くと、宿場の中心部から東へわずか数百メートルで海岸に出ることができたのです。宿場町の賑わいと海運の拠点が一体となった、江戸の海の玄関口だったのです。この海との近接性こそが、品川を単なる通過点ではなく、物流と人の流れが交差する要衝にしていました。

江戸前島の形成——最初の大規模埋め立て

品川の埋め立ての歴史は、実は江戸開府とほぼ同時に始まります。徳川家康が江戸に入った1590年代から、品川沖の浅瀬を利用した海岸改変が段階的に進められました。最初の大きな変化として知られるのが、「江戸前島」と呼ばれた地形形成です。江戸初期の品川沖では、港湾機能の向上を狙った海域改変が行われたと考えられますが、その詳細な目的や範囲については慎重な確認が必要です。なお、近代以降の埋立・開発によって形成された天王洲アイル地区と、江戸初期の「江戸前島」を同一視することは難しく、それぞれ別の文脈で理解する方が適切です。

これらの事業の結果、品川浦は天然の良港から段階的に整備された港湾へと変貌しました。江戸前島と品川宿の間に形成された内湾は、風波を避けた安全な停泊地となり、江戸への物資輸送の中継基地として機能しました。品川浦周辺を歩くと、現在でも入り組んだ水路や運河の跡を確認できますが、これらは江戸時代の港湾設計の名残りなのです。

明治の鉄道と海岸線の変化

品川の埋め立て史における次の大きな転換点は、1872年の鉄道開通でした。新橋・横浜間を結ぶ日本初の鉄道は、品川駅を経由しましたが、この駅の立地が後の埋め立て事業に大きな影響を与えることになります。1872年の鉄道開業では、品川周辺で海上に線路を敷くため高輪築堤が築かれました。品川周辺の鉄道敷設は、海岸地形に対応した特殊な工事を伴いました。

鉄道の開通は品川の性格を根本的に変えました。それまで海路と陸路の結節点だった品川が、陸上交通の要衝へと重心を移したのです。鉄道開業後、品川駅周辺では低地整備や臨海部の開発が進みました。駅前の低湿地を整備して市街地を造成し、同時に貨物取扱いのための用地も確保されました。高輪周辺を歩くと、台地部分と駅周辺の低地部分の高低差が明確に感じられますが、この地形の違いが鉄道時代の品川の発展パターンを決定づけたのです。

明治後期になると、品川沖の埋め立ては工業用地の造成という新たな目的を帯びるようになります。1900年代初頭から、現在の東品川地区にあたる海域で大規模な埋め立てが実施され、造船業や重工業の工場が立地しました。この時期の埋め立て事業は、江戸時代の港湾整備とは異なり、近代工業都市としての品川を創出する都市計画の一環でした。

戦後復興と臨海副都心への道程

戦後の品川埋め立て史は、復興から高度経済成長、そして現代の都市再開発へと続く壮大な変貌の物語です。1945年の空襲で品川の工業地帯は大きな被害を受けましたが、復興過程で埋め立て事業も再開されました。1950年代から1960年代にかけて、品川沖から大井沖にかけての広大な海域が埋め立てられ、現在の大井埠頭、品川埠頭の原型が形成されました。

この時期の埋め立ての特徴は、コンテナ港湾としての機能整備でした。戦前の工業用埋め立てとは異なり、国際貿易の拠点として設計された近代的な港湾施設が建設されたのです。

1980年代以降、品川臨海部と品川駅周辺では再開発が進みました。現在の港南地区や天王洲アイル地区の高層建築群は、この時代の都市開発の成果です。特に2003年の品川駅新幹線停車駅化は、品川を東京の南の玄関口として再定義し、さらなる開発を促進しました。

歩いて確かめる(45〜60分)

品川の埋め立て史を体感するコースは、JR品川駅から始めます。まず北品川方面へ向かい、旧東海道品川宿周辺を歩きます。品川神社周辺では、高台と低地の関係から品川の地形を感じ取りやすいです。現在の第一京浜国道と旧東海道の間の高低差にも注目してみましょう。

次に品川浦周辺へ足を向けます。現在の品川浦は運河として整備されていますが、江戸時代には品川宿と沖合をつなぐ天然の入江でした。護岸の形状や水面の幅から、当時の港湾の規模を推測することができます。旧東海道に戻り、宿場町の賑わいの跡をたどりながら品川駅に戻れば、45〜60分のコースとしてまとまります。

なお、品川駅東口(港南口)から天王洲アイルへ向かうコースは、近代以降の埋立と再開発で形成された臨海地区を体感する別コースとして楽しむのがおすすめです。

1 品川駅東口2 天王洲アイル3 品川神社4 旧東海道品川宿5 品川浦

埋め立てが刻んだ品川の都市DNA

品川の埋め立て史を振り返ると、単なる陸地の拡張以上の意味が見えてきます。江戸時代の港湾整備、明治の鉄道開通、戦後の工業化、現代の都市再開発——それぞれの時代の埋め立て事業は、その時代の都市計画思想を体現していました。興味深いのは、品川が常に「東京の海の玄関口」という性格を保ち続けていることです。

江戸時代の品川宿が海路と陸路の結節点だったように、現代の品川も新幹線・在来線・モノレールが集結する交通の要衝です。400年にわたる埋め立ての歴史は、品川に「流動性」という都市DNAを刻み込みました。人と物が行き交う場所、変化を受け入れ続ける場所——これが埋め立てによって形成された品川の本質なのです。

品川の臨海部は、今も再開発や港湾機能更新の対象となっています。羽田空港の拡張や臨海部の再開発など、品川の埋め立て史はまだ完結していません。過去400年の変遷を知ることで、これからの品川がどのような姿になるのか、その方向性も見えてくるのではないでしょうか。海を陸に変える技術が、時代とともにどのような都市を生み出してきたか——品川の街を歩けば、その答えが風景の中に刻まれていることを実感できるはずです。

参考文献・出典