汚れた川が清流に戻るまで

静岡県三島市の中心部を流れる源兵衛川は、今では透明度の高い清流として知られています。川底まで見通せる水の中を、梅花藻が揺れ、ホタルが舞う夏の夜もあります。しかし、この美しい水辺は最初からあったものではありません。1960年代から80年代にかけて、源兵衛川は生活排水で汚れ、悪臭を放つドブ川と化していました。

では、なぜこの川は清流に戻ることができたのでしょうか。その答えは、単純な浄化技術や行政の施策だけでは説明できません。三島という土地の特殊な水環境と、市民が30年以上かけて続けた地道な活動、そして川と人との関係を根本から見直した取り組みが重なって、今の姿があります。源兵衛川の再生は、日本の都市河川が直面する問題への一つの解答として、全国から注目を集めているのです。

富士山の恵みが作った水の都

源兵衛川の物語は、富士山の地下水から始まります。三島市は富士山南麓に位置し、富士山に降った雨や雪解け水が長い年月をかけて地下に浸透し、湧き水として地表に現れる場所です。源兵衛川は、三島駅前にある楽寿園の小浜池周辺の湧水を源とし、市街地を流れて中郷温水池へ向かう、延長約1.5kmのかんがい用水路でもあります。

この豊富な湧水こそが、源兵衛川再生の基盤となりました。湧水は年間を通じて比較的安定した水温を保ち、清流環境を支える基盤となってきました。昭和30年代中ごろ以降、工場による地下水汲み上げや都市化による地下水涵養量の低下、市街地からの生活排水、不法投棄などが重なり、湧水量の減少と水質悪化が進みました。楽寿園の小浜池でも、1960年代以降、水位低下や湧水の枯渇が問題となり、池底が露出することもありました。

水量の減少は、川の自浄能力を著しく低下させました。わずかな水量に対して、周辺住宅地からの生活排水の流入量が相対的に増大し、源兵衛川は汚濁が進行していったのです。この状況は1980年代まで続き、川沿いの住民からは「窓を開けられない」という苦情が相次ぎました。

市民の手による川づくりの始まり

転機の一つとなったのは、1992年9月に『グラウンドワーク三島実行委員会』が発足したことでした。その後、1999年にNPO法人として認証され、活動は継続的な地域再生へと広がっていきます。この取り組みは、英国発祥のグラウンドワーク活動を日本で初めて導入した事例として知られています。グラウンドワーク運動とは、環境改善を通じて地域再生を図る市民主体の活動で、行政・企業・市民の三者が対等なパートナーシップを組むことが特徴です。

その代表的な取り組みの一つが、源兵衛川の再生でした。しかし、単純に川を掃除するだけではありませんでした。まず取り組んだのは、川への生活排水流入を根本から断つことです。生活排水の流入を減らすため、住民への啓発や水路周辺の環境改善が進められました。同時に、川沿いの住民に対する啓発活動も継続的に行いました。

特に重要だったのは、川の物理的な構造を変えることでした。水辺に近づきやすい遊歩道や飛び石、自然石を用いた護岸などが整備され、川と人の距離を近づける空間づくりが進みました。こうした整備により、生き物がすみやすい環境づくりも進められました。また、川底に堆積していた汚泥を除去し、砂利を敷き詰めることで、水生生物が住みやすい環境を整えました。

水辺に人を呼び戻す仕掛け

源兵衛川再生のもう一つの重要な側面は、川と人との関係を再構築することでした。汚れた川だった時代、人々は川に背を向けて生活していました。家の窓は川とは反対側に向けられ、川沿いの道は人通りが少なくなっていました。

グラウンドワーク三島は、川を人が親しめる空間に変えるため、様々な工夫を凝らしました。川の中に飛び石を配置し、人が水に触れながら歩けるようにしました。この飛び石は、単なる通路ではありません。人が水の冷たさや流れを直接感じられる、源兵衛川らしい親水空間をつくる仕掛けでもあります。また、川沿いには親水デッキを設置し、人が水辺でくつろげる空間を作りました。

さらに、川沿いの景観整備にも力を入れました。在来の植物を中心とした植栽を行い、四季を通じて美しい景色が楽しめるようにしました。特に梅花藻の復活は象徴的でした。三島梅花藻は清らかな水環境を好む水草で、その白い花は源兵衛川の水辺再生を象徴する存在となりました。

持続可能な管理システムの構築

川の再生は一時的な取り組みでは成功しません。源兵衛川の場合、再生後の維持管理こそが成功の鍵でした。グラウンドワーク三島は、市民ボランティアによる定期的な清掃活動を組織化しました。市民ボランティアによる定期的な清掃や環境学習、水辺の見守り活動には、地域住民、学生、企業関係者など様々な人々が関わっています。

重要なのは、この活動が単なる清掃にとどまらないことです。参加者は川の生き物観察や水質調査も行い、川の状態を継続的にモニタリングしています。子どもたちには環境学習の場として、大人には地域コミュニティ形成の場として機能しています。

また、源兵衛川の管理には、最新の技術と伝統的な知恵が組み合わされています。水質調査や生き物観察、地域の人々からの聞き取りなどを通じて、川の状態を継続的に確認する取り組みも行われています。例えば、流量回復の面では、1992年から東レ三島工場の冷却水が導水されるなど、湧水だけに頼らない水量確保の取り組みも行われました。

歩いて確かめる(45〜60分)

源兵衛川の再生の軌跡は、実際に川沿いを歩くことで実感できます。JR三島駅から徒歩5分の楽寿園が出発点です。園内の小浜池では、湧水の状況を確認できます。園内の小浜池では、季節や地下水の状況によって水位が変化します。湧水の変動を実感できる場所として見るとよいでしょう。

楽寿園を出て源兵衛川沿いに南下すると、川の変化を段階的に観察できます。上流部では、まだ湧水の透明感が残る清らかな流れを見ることができます。川の中に設置された飛び石は、水量によって水をかぶることがあるため、無理をせず、足元に注意して歩いてください。足元から感じる水の冷たさと透明度が、富士山の地下水であることを実感させてくれます。

中流部では、川沿いに設置された親水デッキや遊歩道を歩きながら、再生事業で整備された護岸の様子を観察できます。自然石を使った護岸と、以前のコンクリート護岸の違いを比較してみてください。また、川底の砂利や水草の様子から、生き物が住みやすい環境が整えられていることがわかります。

白滝公園は、三島駅周辺で湧水環境を感じられるスポットの一つです。源兵衛川の流れを辿る場合は、楽寿園から市街地を抜け、水の苑緑地方面へ向かう導線に整理すると自然です。ここでは水量が増し、より力強い流れとなります。公園内には源兵衛川再生の歴史を紹介するパネルも設置されており、30年間の取り組みの概要を知ることができます。

1 楽寿園2 源兵衛川上流部3 源兵衛川中流部4 水の苑緑地5 中郷温水池

全国に広がる源兵衛川モデル

源兵衛川の再生は、市民参加型の都市水路再生の代表的事例として、全国から注目されてきました。その成功要因は、技術的な側面だけでなく、市民参加の仕組みづくりにあります。行政主導ではなく、市民が主体となって川との関係を見直し、持続可能な管理システムを構築したことが、他の地域でも応用可能な知見として注目されています。

特に重要なのは、川の再生を単なる環境改善ではなく、地域コミュニティの再生と捉えた視点です。水辺が再生されたことで、川沿いを歩く人が増え、地域の魅力を再認識するきっかけにもなりました。川が美しくなることで、人々が誇りを持てる街になったのです。

現在、源兵衛川の清流は三島市の重要な観光資源ともなっています。しかし、その美しさは観光のためだけにあるのではありません。地域住民の日常生活に根ざし、子どもたちの遊び場として、高齢者の散歩コースとして、そして地域コミュニティの結節点として機能しています。汚れていた時代を知る住民にとって、川の音や水辺の風景を再び日常の中で感じられるようになったことは、大きな変化でした。源兵衛川の再生は、技術と市民力の融合が生み出した、真の意味での地域再生の物語なのです。

参考文献・出典