淀橋浄水場が空けた空白地
新宿駅の西口に立つと、目の前に圧倒的な高層ビル群が聳え立っています。しかし、この光景が生まれたのは偶然ではありません。この場所に超高層ビル群が生まれた背景には、明治31年(1898年)に給水を開始した淀橋浄水場の跡地、戦後の副都心計画、建築規制の変化、新宿駅の交通結節性が重なっていました。
淀橋浄水場は、東京近代水道最初の浄水場として現在の西新宿に造られ、明治31年(1898年)から東京市内への給水を開始しました。その敷地面積は約34ヘクタールに及び、現在の西新宿一帯に広がる大規模な水道施設でした。なぜこの場所が選ばれたのか。理由は地形にありました。新宿西口一帯は武蔵野台地の東端にあたり、淀橋浄水場は高台に位置していました。この地形は、自然流下を活かした給水に適していました。
しかし、戦後復興とともに東京の人口は再び急増し、より大規模な浄水場が必要になりました。昭和40年(1965年)3月31日、淀橋浄水場は東村山浄水場への機能移転に伴って廃止され、その役目を終えました。こうして新宿駅西口近くに、約34ヘクタールに及ぶまとまった浄水場跡地が生まれました。これが新宿副都心計画の出発点となりました。
都市計画が描いた未来都市
1950年代後半から、東京都は淀橋浄水場跡地を活用した新宿副都心の構想を具体化していきました。この計画の背景には、東京の一極集中による都心部の過密化という深刻な問題がありました。丸の内・大手町など都心部への業務機能集中が課題となり、新たな業務核の形成が求められていました。
淀橋浄水場跡地は、まさに理想的な条件を備えていました。まず、JR新宿駅という巨大なターミナル駅に隣接していること。次に、まとまった広大な敷地が確保できること。水道施設跡地としてまとまった土地を一体的に計画しやすかったことも、副都心構想を進める条件になりました。これらの条件が重なったからこそ、ここに副都心を建設する構想が現実味を帯びたのです。
計画では、超高層ビルによる業務地区、住宅地区、商業地区を整然と配置する近未来的な都市が描かれました。1960年代には、特定街区制度や容積地区制度などにより、従来の31メートル高さ制限を超える建築が可能になっていきました。この制度変更が、新宿副都心で超高層建築を実現する前提となりました。この法改正こそが、新宿に超高層ビル群が誕生する法的基盤となったのです。
京王プラザホテルが開いた扉
新宿副都心で最初に建設された超高層建築の代表が、昭和46年(1971年)に開業した京王プラザホテルです。京王プラザホテルは、日本初の超高層ホテルとして知られます。地上47階、高さ約178メートルのこの建物は、開業当初、日本で最も高い建物として大きな話題を呼びました。
京王プラザホテルは、京王グループによる新宿駅西口周辺の都市開発の一環として位置づけることができます。京王電鉄が新宿駅西口の再開発に積極的に関わったのは、同社の路線が新宿を起点としており、新宿の発展が直接的に経営に影響するからでした。つまり、鉄道会社による沿線開発の一環として、この超高層ビルは誕生したのです。
京王プラザホテルの成功は、他の企業にも大きな影響を与えました。超高層ビルが技術的にも経済的にも実現可能であることが実証されたからです。地震国で超高層建築を実現するため、柔構造をはじめとする耐震設計、鉄骨構造、施工技術が発展し、後続の超高層ビルにも経験が活かされていきました。
住友・三井が築いた摩天楼
京王プラザホテルに続き、昭和49年(1974年)には新宿住友ビルと新宿三井ビルディングが相次いで完成しました。新宿三井ビルディングは地上55階、最頂部約225メートルの超高層ビルとして注目を集めました。これらのビルは、単なる貸しオフィスビルにとどまらず、企業の資本力や不動産開発力を示す存在として受け止められました。
住友グループは、住友不動産を中心として新宿西口に複数のビルを建設し、一大オフィス街を形成しました。新宿住友ビルは、企業の不動産開発力を示す西新宿の代表的な超高層ビルの一つとなりました。新宿三井ビルディングでは、オフィスだけでなく足元の広場や店舗空間も含め、超高層ビルと都市空間を結びつける試みが行われました。
こうした企業グループによる開発競争が、新宿西口の超高層ビル群の密度を高めていきました。各社が技術力と資本力を競い合う中で、建物の高さも機能も向上し続けたのです。1970年代の新宿住友ビル・新宿三井ビルに続き、1990年代には新宿パークタワーなども加わり、西新宿の超高層ビル群は厚みを増していきました。
歩いて確かめる(45〜60分)
新宿駅西口から新宿副都心の成り立ちを体感するコースをご紹介します。
まず新宿駅西口を出て、眼前に広がる超高層ビル群を見上げてください。ここが1965年まで巨大な浄水場だったとは信じがたい光景です。京王プラザホテル前の広場に向かい、日本初の超高層ホテルの威容を間近で確認しましょう。建物の足元から見上げると、47階という高さの圧倒感を実感できます。
次に、新宿中央公園へ向かいます。新宿中央公園は、淀橋浄水場跡地の一部に整備された公園です。公園内の「水の広場」では、かつてここが水と深く関わる土地だったことを思い起こすことができます。公園周辺を歩くと、西新宿が武蔵野台地東端の高台に位置することを、坂や地形差から感じ取れます。これが武蔵野台地の東端という立地を物語っています。
住友不動産新宿ビル、新宿三井ビルディングを順に巡り、それぞれの建築的特徴を観察してみてください。住友ビルと三井ビルでは、外観や足元の広場、店舗空間のつくりに違いがあり、1970年代の超高層ビル開発の多様な表情を観察できます。最後に、1991年に開庁した東京都庁舎に向かい、展望室から新宿副都心全体を俯瞰してください。ここから見下ろす光景は、都市計画によって人工的に作られた街の全貌を教えてくれます。
計画都市が生んだ日本の象徴
新宿の超高層ビル群は、偶然の産物ではありません。明治期の上水道整備、戦後の副都心計画、1960年代以降の建築規制の変化、高度経済成長期の建築技術、そして民間事業者による開発が重なり合って生まれた都市景観です。
淀橋浄水場という巨大なインフラが撤去されたからこそ生まれた空白地。その空白地を埋めるために描かれた壮大な都市計画。法改正によって可能になった超高層建築。そして企業の威信をかけた建設ラッシュ。これらすべてが重なったからこそ、今日の新宿西口の光景があるのです。
歩いてみると気づくのは、この街の計画性です。既成市街地の細かな街路や町割りとは異なり、西新宿では広い道路や大街区、公開空地を伴う計画的な都市空間が目立ちます。しかし、その人工性こそが、戦後日本の成長への意志と技術力を象徴しているのかもしれません。新宿の超高層ビル群は、日本が近代化の過程で獲得した都市計画の力と建築技術の到達点を、今も私たちに示し続けているのです。