森林浴発祥の地になる前の森

赤沢自然休養林を歩くと、樹齢三百年を超える木曽ヒノキの美しさがまず目に入ります。けれども、この森の読みどころは景観の良さだけではありません。上松町の公式な森林浴案内では、赤沢自然休養林を「樹齢300年を超える天然木曽ひのきを中心とした針葉樹林」と紹介しつつ、面積約760ha、標高1,080m超の広がりを持つ場だとしています。一方で上松町観光サイトは、ここが日本三大美林の一つでありながら原生林ではなく、江戸時代の厳しい保護政策の結果として現在の森が育ったことを明記しています。つまり赤沢は、自然が偶然残った場所ではなく、木曽谷の政治と林業の仕組みの中で守られた森として見るべき場所です。

木曽谷では中世以来、良材の産地として森林資源が重視されてきました。とくに戦国末から近世初頭にかけて大規模な建築需要が高まり、伐採圧が強まったことで、森は放置すれば失われかねない状態になります。赤沢を「美林」とだけ呼ぶと、静かな森の風景で話が終わってしまいますが、現地で意識したいのは、いま見えている大径木の背後に、伐り尽くさないための制度と監視の歴史が折り重なっているという点です。谷沿いの道、水の流れ、人が入りやすい導線を見ていくと、保全の対象としての森という性格が見えてきます。

尾張藩の林政が森の形を決めた

上松町観光サイトの歴史ページによれば、1665年に尾張藩が上松に材木役所を設置し、木曽の森林管理の中心地としました。同じページでは、この保護制度が「木1本 首ひとつ」と恐れられるほど厳格で、住民であっても自由な伐採を禁じたと説明されています。赤沢自然休養林の森林浴案内も、危機感を抱いた尾張藩が厳格な保護政策を打ち出し、その際に実生から成長した森が赤沢の始まりだと述べています。ここで重要なのは、赤沢の天然林が、単に古い木が残っているという意味での天然林ではなく、統制の結果として再生と維持が進んだ森だということです。

この文脈を現地で確かめる補助線になるのが、上松の町場に残る尾張藩上松材木役所御陣屋跡です。森そのものは山側にありますが、統制の拠点は宿場に置かれました。これは、木曽の山を守る仕組みが、山中だけで完結せず、街道交通と役所機能を持つ上松宿と一体で成り立っていたことを示します。赤沢の谷筋を歩いたあとに御陣屋跡へ目を向けると、森の管理が行政の現場から支えられていたことが理解しやすくなります。森の美しさと、取り締まりの厳しさは、別々の話ではありません。

森林浴という近代の再解釈

赤沢自然休養林は、近世の林政遺産であるだけでなく、近代以降に新しい価値を与えられた場所でもあります。森林浴案内サイトでは、1969年に林野庁から国内第1期の自然休養林に指定され、翌1970年に開園したと説明しています。さらに1982年には林野庁が「森林浴」を提唱し、その年の秋に初めて森林浴の全国大会が赤沢で開催されたとあります。上松町観光サイトも、1982年にこのイベントが初開催されたことを案内しています。赤沢は「昔から名所だった森」ではなく、近代の保健・観光政策の中で、歴史ある林業地帯が健康増進の場へ再編集された場所でもあるわけです。

この再解釈を象徴するのが、森林浴発祥の地としての表示や、赤沢森林鉄道の保存運行です。上松町観光サイトでは1987年から木曽森林鉄道の保存運行が始まったとされ、現在も森林鉄道が景観体験の一部になっています。ただし、ここで見たいのは単なるレジャー性ではありません。かつて木材搬出を担った鉄道の記憶が、いまは観光の装置として森の読み方を変えている点です。森林鉄道に乗ること自体が目的になりがちですが、歩いてみると、谷に沿う軌道跡や遊歩道の配置が、森が利用の場でもあったことを静かに伝えています。

谷筋と遊歩道に残る利用と保全の痕跡

赤沢自然休養林の観光案内には、ふれあいの道、駒鳥コース、向山コース、冷沢コース、上赤沢コース、渓流コースなど、性格の異なる散策路が紹介されています。なかでも森林浴案内が勧める「ふれあいの道+駒鳥コース」は、傾斜が少なく、渓流のせせらぎや風音、鳥の声を感じやすいルートです。現地で注目したいのは、この「歩きやすさ」自体が地形条件と管理の積み重ねで成り立っていることです。谷に沿って道が通り、橋や案内板が置かれ、休憩地点が選ばれているからこそ、赤沢は森林浴の場として体験しやすい空間になっています。

上松町観光サイトは、駒鳥コースで昭和60年の伊勢神宮御神木伐採跡地や巨木のある椹窪、向山コースで走り根や木曽駒ケ岳の遠望、上赤沢コースで天然林と人工林の違い、渓流コースで涼感ある流れ沿いの歩行を紹介しています。ここから読み取れるのは、赤沢が一枚岩の森ではないということです。天然林の景観、人工林との対比、軌道跡、渓流沿いの低地、巨木が残る区画など、見る場所によって森の性格が違います。散策では、ただ「空気がよい」で終わらせず、どこで水系に沿い、どこで人の手による導線や保全の境界が感じられるかを意識すると、記事のテーマである林業史と景観がつながります。

宿場と輸送路まで視野を広げる

赤沢の理解を深めるには、森の内部だけで完結させず、木曽の桟や上松宿本陣跡まで視野を広げるのが有効です。上松町の歴史ページでは、上松宿が中山道69次の一つとして整備され、材木役所が置かれた町であったこと、さらに木曽の桟が木曽谷の交通史を象徴する難所として語られています。森で保護された木が、どのような交通路と町場の機能に支えられて外の世界へつながっていったのかを見ると、赤沢の景観は孤立した自然ではなく、流通の上流部として理解できます。

木曽の桟では、険しい谷地形の中で人と物がどう通過したかを考えられますし、上松宿本陣跡では、宿駅機能と行政機能が重なった町場の構造をたどれます。森の入口に立っただけでは、木曽ヒノキがどう制度に組み込まれ、どう運ばれ、どう地域の生活を変えたかまでは見えません。赤沢自然休養林の価値は、森林浴発祥という近代の看板だけでなく、御陣屋跡、木曽の桟、上松宿本陣跡を含む広域の文脈の中でこそ立体的になります。

歩いて確かめる(45〜60分)

まずは森林浴発祥の地で、赤沢が1969年指定・1970年開園の自然休養林であり、1982年に森林浴の全国大会が開かれた場所だという近代的な位置づけを確認します。次に、ふれあいの道や駒鳥コース寄りの区間で、谷筋と渓流、橋、案内板、歩道の整備状況を見て、森が体験の場として編集されていることを確かめます。時間が取れれば、天然林と人工林の違いが見えやすい上赤沢コース側の説明も参照し、同じ園内でも景観の性格が変わることを意識します。最後に町場へ戻って尾張藩上松材木役所御陣屋跡、木曽の桟、上松宿本陣跡をつなげると、森の美しさが林政、輸送、宿場の歴史と一体だったことが整理しやすくなります。

1 森林浴発祥の地2 尾張藩上松材木役所御陣屋跡3 木曽の桟4 上松宿本陣跡

森を景観ではなく歴史の現場として見る

赤沢自然休養林は、木曽ヒノキの巨木が並ぶ美林であると同時に、伐採の危機を経て保護制度が敷かれ、その後に自然休養林、さらに森林浴発祥の地として再定義された場所です。だからこそ見どころは、木そのものの大きさだけではありません。谷の水、歩道の線形、森林鉄道の記憶、町場に残る行政と交通の痕跡までを合わせて見ると、赤沢は「気持ちのよい森」から「制度と利用の歴史が残る森」へと見え方が変わります。

公開記事として押さえたいのは、赤沢を抽象的な癒やしの場として書かないことです。尾張藩の保護政策、上松の材木役所、森林浴という近代の再解釈、そして木曽の桟や上松宿につながる輸送路まで含めて書くことで、この場所固有の歴史性が立ち上がります。現地で歩くなら、景色の良さと同時に、なぜこの森が残り、なぜこの町がその管理を担ったのかを問いながら歩くのが適しています。

参考文献・出典