空から見える千年の記憶

讃岐平野を空から眺めると、碁盤の目のような整然とした水田区画が広がっています。この規則正しい風景は、決して偶然の産物ではありません。讃岐平野には、古代の条里地割をよく残す水田景観が各地に見られます。

条里制は、6町(約650メートル)間隔で縦横に区切り、その6町四方を「里」、内部の1町四方を「坪」として整理する古代の土地区画制度でした。律令国家が全国に施行したこの制度により、土地は整然とした格子状に区切られました。この制度が施行されてから1300年近くが経った現在、讃岐平野の水田には、その古代の区画がほぼそのままの形で残されています。なぜ、これほど長期間にわたって古代の区画が維持されてきたのでしょうか。

律令国家の野心と讃岐の地形

奈良時代の律令国家にとって、条里制の施行は国家統治の根幹をなす事業でした。全国を統一的な基準で区画し、土地の所有と税収を明確にする。この壮大な計画を実現するには、平坦で広大な土地が必要でした。讃岐平野の平坦な土地条件は、条里地割が展開しやすい地域の一つだったと考えられます。

讃岐平野には、広い農地と多数のため池が組み合わさった独特の景観が広がっています。

条里制の施行と同時に進められたのが、灌漑システムの整備です。満濃池は、大宝年間(701〜704)に築造されたと伝えられています。満濃池は、讃岐の農業を支える代表的な大規模灌漑施設として重要でした。讃岐では、条里地割の展開と灌漑施設の整備が、農地景観の形成に深く関わっていったと考えられます。

坂出市府中町周辺では讃岐国府跡の調査が進んでおり、この地域が古代行政の中心だったことがうかがえます。善通寺は、この地域の古代以来の宗教的中心として重要な位置を占めています。

中世の変容と近世の継承

平安時代後期から鎌倉時代にかけて、荘園制の発達により条里制は形骸化していきました。しかし、讃岐平野では興味深いことが起こります。条里制の区画そのものは維持されながら、その上に荘園の境界が重ねられていったのです。

讃岐平野では、水利システムと条里地割が重なり合いながら農地景観が維持されてきました。

江戸時代に入ると、讃岐は高松藩と丸亀藩に分割されましたが、両藩とも条里制の区画を基礎とした新田開発を進めました。近世以降の開発でも、既存の地割が地域景観に影響を与え続けたと考えられます。

明治維新と地籍の近代化

明治時代の地租改正は、全国の土地制度を根本的に変革する大事業でした。しかし、讃岐平野においては、この改革が古代条里制の保存に意外な効果をもたらしました。

地租改正では、全国の土地について詳細な測量と地籍の確定が行われました。近代以降の地籍整理の中でも、古い地割がそのまま残った地域がありました。結果として、古い地割が近代以降の土地利用にも引き継がれた地域が生まれました。

現代に息づく古代の区画

現在の讃岐平野を歩くと、古代条里制の痕跡を至る所で確認することができます。最も明確なのは、水田の区画そのものです。丸亀平野などでは、109メートル四方を意識させる規則的な地割が今も景観の中に読み取れます。

地名にも条里制の記憶が刻まれています。「一条」「二条」といった条を示す地名、「一坪」「二坪」といった坪を示す地名が、現在でも各地に残されています。これらの地名は、単なる歴史の記録ではなく、現在も使われている生きた地名として機能しています。

農道や水路の配置の中に、古い地割の影響を感じられる場所があります。

この地域では、推定南海道の存在も調査されており、古代交通路との関係が検討されています。

歩いて確かめる(45〜60分)

45〜60分で歩くなら、讃岐国府跡周辺コース、善通寺・香色山コース、満濃池周辺コースを別々に設定した方が現実的です。国府跡周辺では、条里方向と関係する地割や遺構が調査されています。関連する展示施設では、条里制の復元図を見ることができる場合があり、現在の地形図と比較してみてください。

坂出市府中町や丸亀平野の各地では、条里地割を思わせる田園景観を確認できます。

満濃池周辺では、灌漑施設が長く地域農業を支えてきたことを意識できます。池の堤防から広がる景観を眺めながら、古代以来の水と農地の関係を想像してみてください。

善通寺周辺では、この地域の古代以来の宗教的中心としての歴史を感じることができます。寺院の周辺には条里制の坪名を残す地名も多く残されており、地名表示を確認しながら歩いてみてください。

1 讃岐国府跡2 条里制遺構水田3 満濃池4 善通寺

時を超えた土地の記憶

讃岐平野の条里制遺構は、単なる歴史的遺産以上の意味を持っています。讃岐平野の条里地割景観は、古代地割が長く残った例として国内でも貴重です。

古代の土地制度が現代まで維持されてきた背景には、讃岐平野の地形的条件、灌漑システムの継続性、そして各時代の為政者による制度の継承があります。条里制は、土地把握と農地管理を進める古代国家の重要な制度でした。

この継続性は、現代の私たちに重要な示唆を与えています。持続可能な土地利用とは何か、地域の歴史と現代の開発をどのように調和させるべきか。讃岐平野の条里制遺構は、これらの問いに対する一つの答えを、1300年間という時間の重みとともに提示しているのです。

讃岐平野には条里制に関連する史跡が保護されており、現役の農業地域として活用され続けています。古代の知恵と現代の技術が融合したこの風景は、過去と未来をつなぐ貴重な文化的景観として、私たちの前に広がっています。

参考文献・出典