街を歩いて歴史を読む。地形・道・痕跡から、その土地の物語を掘り起こします。

二つの都を持った武家政権 南北朝期、足利氏は京都に幕府を置きつつ、鎌倉を関東統治の拠点として再編していきました。なぜ足利氏は、前政権である鎌倉幕府の都をそのまま引き継いだのでしょうか。そして、この政治的継承は鎌倉という都市をどのように変容させたのでしょうか。 鎌倉は、源頼朝以来の武家政権を象徴する都市でした。足利氏はその権威を受け継ぎながら、禅宗文化と武家の伝統を組み合わせた統治を展開しました。

三方を山に守られた政治の舞台 鎌倉を初めて訪れる人の多くは、街の狭さに驚きます。JR鎌倉駅から鶴岡八幡宮まで歩いても15分ほど、東西南北どちらに向かっても、すぐに山か海にぶつかってしまう。この地形的な条件は、源頼朝が鎌倉を武家政権の拠点とするうえで重要な要因の一つでした。 頼朝が鎌倉入りしたのは1180年、平氏打倒の挙兵から4か月後のことです。なぜ頼朝は、奥州平泉や京都ではなく、この小さな谷間の町