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第3章

銀座に、幅55mの川があった。

三十間堀川跡

ここから、銀座の街を南へと下っていきます。歩きながら、建物だけでなく、街の「幅」にも目を向けてみてください。 この一帯には、かつて三十間堀と呼ばれる水路がありました。その名は、開削された当初の幅が三十間——およそ55メートルほどあったことに由来すると伝えられています。 55メートル。いまの銀座のまん中に、それだけの水面が横たわっていた時代があったのです。 もっとも、堀の幅は時代とともに移り変わりました。ですから、正確な数字を思い描くことが大切なのではありません。いま足もとに広がる「陸」を、かつては水だった場所として眺めてみること。それが、この場所での楽しみ方です。

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1849年(嘉永2年)の切絵図。中央通りと昭和通りの間に、三十間堀の水面がはっきりと描かれています。現在地図と重ねて、その幅を確かめてみてください。

1849年(嘉永2年)の切絵図。中央通りと昭和通りの間に、三十間堀の水面がはっきりと描かれています。現在地図と重ねて、その幅を確かめてみてください。

出典:江戸切絵図『築地八町堀日本橋南絵図』(尾張屋清七, 1849年)/人文学オープンデータ共同利用センター(原資料:国立国会図書館デジタルコレクション・保護期間満了)

見たら、画面から目を上げて、いま立っている同じ場所を見くらべてみてください。

次に向かうのは、三十間堀の記憶と意外な形でつながる場所です。

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