第1章
「京橋」なのに、橋がない。
京橋の親柱

銀座一丁目の一角に、大きな石の柱が静かに立っています。表面に刻まれているのは、「京橋」の二文字。かつてここに架かっていた橋——京橋の、親柱です。
けれど、あたりを見わたしても橋は見当たりません。その下を流れていたはずの川も、どこにもありません。
「京橋」という名は、駅名や地名として、いまも当たり前のように使われています。それなのに、肝心の橋も、川も、とうに姿を消している。かつてこの足もとには京橋川が流れ、人々は橋を渡って行き交っていました。整然と並ぶビルの街並みからは、少し想像しにくい風景かもしれません。
では、その川はいったい、どこへ消えてしまったのでしょう。
これから銀座を南へ歩きながら、橋の名前や道のかたち、街に残された小さな痕跡を手がかりに、消えた水辺の記憶をたどっていきます。
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1849年(嘉永2年)の切絵図には、京橋川と、その上に架かる京橋が描かれています。現在地図と重ねると、いまは道路になった川の位置がわかります。
出典:江戸切絵図『築地八町堀日本橋南絵図』(尾張屋清七, 1849年)/人文学オープンデータ共同利用センター(原資料:国立国会図書館デジタルコレクション・保護期間満了)
見たら、画面から目を上げて、いま立っている同じ場所を見くらべてみてください。
この場所にあった水路は一本だけではありません。少し東へ歩いて、「水の交差点」へ向かいます。
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