最終章
町の名が、時代の名になった
弥生式土器発見の地
最後に訪ねるのは、弥生式土器発見の地です。ここには、日本の歴史そのものにかかわる、驚きの物語があります。
1884年(明治17年)、東京大学の学生だった有坂鉊蔵(ありさかしょうぞう)らが、このあたり——当時の「向ヶ岡弥生町」の貝塚で、一つの壺形の土器を見つけました。それまで知られていた縄文土器とは、明らかに様子の違う土器でした。
この新しいタイプの土器は、発見された町の名をとって「弥生式土器」と名づけられます。そして後に、この土器が使われた時代そのものが「弥生時代」と呼ばれるようになりました。つまり——日本史の教科書に必ず出てくる「弥生時代」という時代の名前は、この本郷の小さな町の地名から生まれたものなのです。
大名屋敷が大学になり、その大学の学生が土器を掘り当て、町の名が一つの時代の名になる。ここまで歩いてきた本郷という町は、江戸の格式も、明治の学問も、そして遥かな古代までも、その名前と土のなかに抱えていました。
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2.8km、屋敷は、大学になって残った
- 加賀前田家の広大な屋敷は、東京大学として姿を変えて残っていました。
- 赤門・三四郎池は、大名屋敷と庭園の生きた名残です。
- 「弥生時代」の名は、この本郷弥生の地名から生まれました。
ここが、このツアーの最後の場所です。
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