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第4章

大名の庭が、池になって残った

三四郎池

キャンパスの奥、木立にかこまれた静かな池にたどり着きます。三四郎池。学生や近所の人が憩う、都会のなかの別天地です。 この池は、もともと加賀前田家の大名庭園「育徳園(いくとくえん)」の中心にあった池でした。その形から「心字池(しんじいけ)」と呼ばれ、江戸初期には徳川将軍を迎えるほどの、格式高い庭だったといいます。建物の多くが失われた大学のなかで、この池と木立だけは、大名庭園だった頃のおもかげを、いまに伝えています。 では、なぜ「三四郎池」と呼ばれるのか。明治の文豪・夏目漱石が、1908年(明治41年)の小説「三四郎」で、主人公たちをこの池のほとりで出会わせました。小説の人気とともに、育徳園心字池は「三四郎池」の通称で親しまれるようになったのです。 大名の庭が、小説の舞台になり、学生の憩いの場になる。一つの池に、江戸と明治と現代が、静かに層をなしています。

屋敷と庭の名残をあとに、キャンパスの北へ。大学が世界とつながった証しが、坂の名前に残っています。

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