第5章
なぜ、ここに国分寺は建ったのか
武蔵国分寺跡 僧寺 金堂跡
広々とした原っぱに出ます。いま立っているこの場所こそ、武蔵国分寺の中心——金堂があったところです。
奈良時代の中ごろ、天平13年(741年)。聖武天皇は、仏の力で国を安らかにしようと、全国に国分寺を建てるよう命じました。その一つが、ここ武蔵国分寺です。僧寺と尼寺をあわせた寺域は東西900メートル・南北550メートルにおよび、諸国の国分寺のなかでも最大級の規模を誇りました。国の史跡に指定されています。
では、なぜ、この場所が選ばれたのでしょう。理由は大きく二つと考えられています。ひとつは、都と武蔵国の国府(いまの府中)を結ぶ古代の幹線道路「東山道武蔵路」が、すぐ近くを通っていたこと。そしてもうひとつが——ここまで歩きながら、ずっと見てきたものです。東西に長く連なる国分寺崖線と、その麓から湧き出す、豊かな水。
つまり、水です。私たちが殿ヶ谷戸の池からたどってきた、あの湧水こそが、この地に国家の大寺を呼び寄せた、大きな理由のひとつだったのです。
最後に、いまも祈りが続く場所へ。焼けた寺のあとを継いだ、武蔵国分寺の薬師堂へ向かいます。
「武蔵国分寺跡 僧寺 金堂跡」の詳細を見る ›現在地から次のスポットへ
