街を歩いて歴史を読む。地形・道・痕跡から、その土地の物語を掘り起こします。

会津若松に残る戊辰戦争の痕跡——白虎隊と鶴ヶ城が語る最後の抵抗 飯盛山から見えた炎上する城 慶応4年(1868年)8月23日、16・17歳の白虎士中二番隊の少年たちは飯盛山に至り、多くが自刃しました。飯盛山には今も『白虎隊十九士の墓』が残り、飯沼貞吉のみが生還したと伝えられています。白虎隊二番隊の少年たちが見つめていたのは、煙に包まれた鶴ヶ城の姿だった。しかし、彼らが目にした「炎上」は錯覚だった。

農村の少年を世界の研究者に押し上げた教育の土壌 猪苗代湖の湖畔に立つと、対岸の山並みが水面に映る静謐な風景が広がります。この湖畔の農村で1876年に生まれた野口英世が、なぜ世界的な細菌学者になることができたのか。会津の教育環境は、野口英世が医学を志す背景の一つになったと考えられます。 野口英世の成功は、江戸期から続く会津藩の学問重視の伝統と、明治期の地方医学教育の充実という二つの条件が重なった結果