街を歩いて歴史を読む。地形・道・痕跡から、その土地の物語を掘り起こします。

その日、日本の未来が決まった戦場 慶応4年(1868年)1月3日の夕刻、京都南部の鳥羽・伏見で響いた銃声は、日本の歴史を二つに分けました。旧幕府軍と薩長軍が激突したこの戦いは、わずか4日間で徳川政権に大きな打撃を与え、明治維新への重要な転換点となったのです。しかし、なぜこの場所が日本の未来を左右する戦場となったのでしょうか。 答えは、この地が持つ地理的な必然性にあります。鳥羽・伏見は単なる京都の郊

会津若松に残る戊辰戦争の痕跡——白虎隊と鶴ヶ城が語る最後の抵抗 飯盛山から見えた炎上する城 慶応4年(1868年)8月23日、16・17歳の白虎士中二番隊の少年たちは飯盛山に至り、多くが自刃しました。飯盛山には今も『白虎隊十九士の墓』が残り、飯沼貞吉のみが生還したと伝えられています。白虎隊二番隊の少年たちが見つめていたのは、煙に包まれた鶴ヶ城の姿だった。しかし、彼らが目にした「炎上」は錯覚だった。