基肄城跡

きいじょう

佐賀県基山町

基肄城は、福岡県筑紫野市と佐賀県三養基郡基山町にまたがる基山(きざん)に築かれた[1]、日本の古代山城である。基肄城は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた古代山城である。665年(天智天皇4年)、大野城とともに築いたことが『日本書紀』に記載されている。城郭の建設を担当したのはいずれも亡命百済人で、「兵法に閑(なら)う」と評された、軍事技術の専門家の憶礼福留(おくらいふくる)と四比福夫(しひふくぶ)である。また、大野城・基肄城とともに長門国にも亡命百済人が城を建設しているが、城の名称は記載されず、所在地も不明である。そして、『続日本紀』 の698年(文武天皇2年)には、大野城・基肄城・鞠智城の三城の修復記事が記載され、『万葉集』にも、「記夷城(きいのき)」と、記載されている。

出典:Wikipedia
基肄城跡(佐賀県基山町)の写真・外観

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