犬養毅像

2025年3月28日

現地の説明板には、次のように書かれていました。 犬養木堂先生 銅像の説明 犬養毅(木堂と号す)は安政二年(一八五五)に備中国賀陽郡庭瀬村(現在 岡山市川入)に犬養源左衛門の二子として生る。 明治八年(二十才)上京し慶応義塾に学ぶ。明治十年(二十三才)西南戦争の起るや従軍記者となったが、その後、文筆と雄弁とをもって政治運動に入り、明治二十三年(三十六才) 衆議院議員となる。 明治三十年(四十四才)文部大臣に任ぜらる。その後、立憲国民党、革新倶楽部等を組織し、「憲政の神」と称せらる。 大正十三年(七十才)逓信大臣、昭和四年(七十五才)政友会総裁となり昭和六年総理大臣となる。しかるに、翌昭和七年(一九三)いわゆる五・一五事件勃発し過激派のために官邸にて暗殺さる 正二位・旭日桐花大綬章を追贈せらる。 享年七十八オ 毅の生家(此処より南方へ約三キロに現存)は代々庭瀬藩の大庄屋、その遠祖犬養健命は大吉備津彦命の随神なり。よって氏神吉備津神社のため尽瘁するところ多し。毅の没するや郷党の人々その高風を慕い、昭和九年この地に銅像を建つ。作者は朝倉文夫、 雄姿堂々として天下を脾脱するの概あり。

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