咸宜園跡(大分県日田市)の写真・外観

咸宜園跡

かんぎえん

大分県日田市

咸宜園は、江戸時代の先哲・広瀬淡窓により、幕府領であった豊後国日田郡堀田村(現大分県日田市)に文化2年(1805年)に創立された全寮制の私塾である。「咸宜」とは『詩経』から取られた言葉で、「ことごとくよろし」の意味。塾生の意志や個性を尊重する理念が込められている。塾生は遠方からの者も多かったため、寮も併設された。全国68か国のうち、66か国から学生が集まった。東国からやってきた女の子もあった。桂林荘のときに、この寮生活の厳しさとその楽しさを詠った「桂林荘雑詠 諸生ニ示ス」の4首のうち、主に2首目冬の情景を詠ったもの、いわゆる「休道の詩」は教科書に取り上げられたことがあり、他にも四季それぞれの様子を詠んだ詩がある。休道の詩は、3代目塾主広瀬青邨が賓師を務めた私塾立命館を創始とする立命館大学の寮歌のルーツとも言われている。

場所

大分県日田市

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