武蔵国分寺跡
東京都国分寺市
大正4年(1915年)、三菱合資会社の江口定條(後の南満州鉄道副総裁、貴族院議員)が大字国分寺殿ヶ谷戸に別邸を建て、名を「随宜園」といい大正期の典型的な和洋折衷の別荘であった。作庭は赤坂の庭師・仙石荘太郎に依頼、壮太郎は高橋是清邸の庭園や八芳園などを作庭した実績があった。昭和4年(1929年)江口定條所有の土地1万坪と本館「随宜園」が岩崎彦彌太に売却され、彦彌太により「国分寺の家」と名付けられた。昭和9年(1934年)彦彌太は本館を建替えた、津田鑿の設計による和洋折衷の回遊式林泉庭園が完成、1階136坪5合、2階29坪5合、延べ166坪で、部屋数10以上の規模である[3]。当時の国分寺駅南側は殆どが岩崎家の所有地で、同駅南口は岩崎家の陳情により出来たといわれている。
出典:Wikipedia

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