高札場を知る

更新日:2025年4月5日

高札場(こうさつば)は、江戸時代において幕府や領主が定めた法令や掟を掲示するために設置された場所や施設です。高札とは、木製の板に法令を墨書きし、人々が目にしやすい場所に高く掲げることで、法律の内容を公示する手段でした。

高札の役割

高札場は、特に交通の要所や宿場の近くに設けられ、通行人や地元の人々に法令や重要な情報を知らせる役割がありました。これにより、次のような目的が達成されました:

  1. 法令の周知徹底:新しい法令や禁令を民衆に早急に知らせ、遵守を促すこと。
  2. 道徳・倫理の教育:基本的な社会規範を示し、倫理的な行動を促すことで、秩序を保つこと。
  3. 連絡手段の提供:犯罪者の情報や重要な知らせを掲示することで、地域社会の安全を図った。

高札場の設置

高札場は、宿場や重要な通行点、関所の近くに設置され、目立つように高く設置されました。江戸時代には、全国に数多くの高札場が存在し、これらは地域ごとに異なる法令や規則が掲示されることもありました。また、江戸の日本橋や京都の三条大橋、大坂の高麗橋などが代表的な高札場として知られています34610

高札制度の変遷

高札制度は江戸時代の法制度の一環として重要な役割を果たしましたが、明治維新を境に廃止されました。明治7年(1874年)には高札の廃止が決定され、それにより新しい政府のもとで法令告知の方法が変わったとされています。廃止の理由には、法令が一変したことや、新しい情報伝達手段の確立が含まれます35610。 江戸時代の高札場は、ただ法令を掲示する場所であるだけでなく、地域のコミュニティにおいて極めて重要な社会的機能を果たしていました。高札場は公的な情報の発信源となり、地域社会の一体感を高める役割も担っていました。特に、法令だけでなく、地域の慣習や重要な行事、災害情報なども掲示されており、住民の生活に密接に関与していたのです。 また、江戸時代における高札の文字は、一般市民にわかりやすいように平易な表現が用いられており、内容は時に教訓的な要素を含んでいました。特に、忠孝などの封建倫理に関する高札は、単なる法律の周知にとどまらず、道徳的な教育の一環としても機能していました。したがって、高札場は教育の場としての側面も持ち合わせていたことが指摘されています。 さらに、各地の高札場は、江戸幕府の中央集権的な性格を反映したものであり、全国的に統一された法体制を確立するための基盤ともなりました。これにより、異なる藩による様々な法令が適用される状況にある中でも、基本的な秩序は保たれ、民衆の遵法精神を育むことにつながりました2345.