庚申塔を知る

更新日:2025年4月2日

庚申塔(こうしんとう)は、中国由来の道教信仰である庚申信仰に基づいて日本で建立された石塔です。この信仰は、特に江戸時代に人気がありました。庚申とは、干支の一つで、60日に一度巡る「庚申の日」が特に重要視されます。

庚申信仰の背景

庚申信仰においては、人間の体内に「三尸(さんし)」と呼ばれる虫が存在すると考えられました。この虫は、庚申の日の夜に眠っている間に体外に出て、神にその人の悪行を告げると信じられています。これにより寿命が縮む可能性があるため、この日は徹夜で過ごし、むやみに眠らないことが推奨されました。信者たちは、庚申の日に集まり、食事を共にしながら情報交換をし、無事に過ごすことを祈ったのです12

庚申塔の建立

庚申信仰の普及とともに、村の人々が集まるこの行事を18回継続すると、その記念に庚申塔が建立されることが一般的でした。庚申塔には、しばしば「青面金剛」や「三猿」の像が彫られており、これらはそれぞれ健康や病気除けを象徴しています。特に三猿は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の姿勢を示し、悪事を避けることを願っています34

地域ごとの特徴

日本各地に庚申塔は存在していますが、その数や形態は地域によって異なります。例えば、関東地方では多くの庚申塔を見かけることができますが、関西地方では相対的に少ないです。これは、信仰の中心地が異なるためと考えられます。また、各塔には刻まれた文字や彫刻があり、それによって村の歴史や生活様式についての情報を提供しています1。 このように、庚申塔は単なる石塔ではなく、地域の文化や信仰を反映した重要な文化財です。

江戸時代には、庚申塔が全国に広がる現象が起こり、多くが共同で建立されました。特に経済的にも地域に貢献した信仰であり、庚申塔の建立には村人が協力して資金を出し合うことが一般的でした。

庚申塔は単なる信仰の対象であるだけでなく、村の境界を示したり、道しるべとして利用されたりすることもありました。一部の庚申塔には、道を示すための標石としての機能を持つものもあります。そのため、庚申塔は信仰とともに地域社会の発展にも寄与してきたと言えるでしょう。

また、庚申塔には青面金剛に加え、さまざまな彫刻が施されているものも見受けられ、仏教の影響を受けたものも多く存在します。延享元年(1744年)や明和7年(1770年)など、特定の年号が刻まれているケースもあり、これが地域の歴史や文化を知るための貴重な手がかりとなっています。進行中の都市開発や環境変化に伴い、庚申塔の多くが姿を消したり移動されたりしているため、その保存が重要視されています。

今日でも、これらの塔は文化財として保護されており、地元の祭りや行事に関連づけられることもあるため、地域住民にとって大切な存在であり続けています。